千葉県有機農業推進連絡会

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環境・農業

 有機農業とは植物、動物、昆虫、微生物等あらゆる生命体が調和のもとに生き、そして生かされる農業であり、その健全なあり方には健全な環境が大前提です。 この意味で環境を遮断し、人工的な肥料、土壌、施設、機械器具、作型、品種など近代農業が科学や工業の延長上で作り上げてきたものとは明らかに違っています。 人類が本来持っている生命力を発揮することを妨げる工業や産業の問題は環境の問題として定義できる。即ち、大気汚染、土壌汚染、重金属汚染、電磁波汚染、水汚染、海洋汚染が、体を蝕み精神の正常な働きを妨げている。 ここではそれらを検証し、健康に生きる課題を明確にする。

 人間は、科学の力によって動植物の構成要素に分けてどういうもので出来ているからそれを与えればという発想で来ているが、しかし未だかつていかなる生命体もその発見した構成要素を正確に定量して集め同じ生命体を作れたことは一度もないし、これからも決して、出来ないだろう。 仮に出来たとしても、自然が無造作に行うほどには完全には出来ないだろう。 つまり近代科学の効率とか経済性が成り立たないほど、多くの矛盾を同時に生み出すのは目に見えている。 そして、科学と政治は、これまであらゆる産業でやってきたように、金にならない汚染部分は、経済の視野から外して無視し、欠陥だらけの科学や人間の浅智恵を誇らしげに謳歌するはずだ。

 現在の環境問題から考えて、人間の産業と経済システムがいかに不自然なものを生み出し、知らん振りを決め込んでいるか。 そして問題が明らかになるまで、それも犠牲者がたくさん出るまでは何もせず、出たら税金を国家財源という全くえたいが知れないような方法で支出する。その担当大臣は、まるで自分の手柄ででもあるかのようにたった一つの環境・健康問題を解決したことを吹聴する。

 環境問題を語る時、「地球に優しい」というあいまいな表現ではなく、人間という生き物、あらゆる相互依存しあう生命の場が失われるという視点で話し合われるべきだ。 地球は、人間が汚し尽くして全く生命体が住めない状態になっても存続するだろうし、なんら痛みを感ずるものでもないだろう。 何万年か何億年か先にまた新たな生命体が発生するのをじっくり待つことだろう。 しかし、実際に患うのは生命で、地球という無機的な存在ではない。 地球を生命として捉えるガイアという発想も良いが、もっと身近に自分の子供、自分の命、自分の愛するペット、自然、植物、動物、昆虫などの命を対象に絞って語ってはどうだろう。 『命に優しい』若しくは『人間に優しい』と。 

 私たちの祖先は、環境を汚さずに、自然と共にあることによって素晴らしい健康を享受していた。 一日に100kmの山道を往復しても平気だったり、100kgの荷物を背負って一日中歩き廻ったり、明治には人力車夫が横浜から日光まで一っ走りに走って時のドイツ人を驚嘆させたりといったことがたくさん伝わっている。 また、寿命も長く100歳を超えるものが多くあり、中には140歳まで生き病気知らず医者いらずで暮らしていたことがつい最近まであったことが分かっている。 また、この人たちは性格が非常におおらかで明るく前向きであることが多くの接触を持った人達によって驚嘆を持って記録されている。 その生命力や精神性、道徳性は、自然と共にあることで可能だったのであり、我々もその智恵を学び取ることで始めて真の健康に至ることが出来るはずだ。

 農薬・化学肥料、季節外れの施設栽培とそれに適した品種と人間の誤った思考で変えられた品種は、必然的に多くの医療を必要とし、生きることが苦痛を伴うことは明らかだ。 現在30兆円を費やしても破綻している医療、しかし、その実態はもっともっと深刻だといわなければならない。 つまり、破綻しているのは、健康保険の自己負担分を除いての破綻であり、更に「マツモト・キヨシ」に代表される医薬品小売業界が繁盛して稼いでいる負担は計算に入っていない。 これほど費用を出しても、医者いらず、病気知らずとは、全く無縁だ。 自然生態系に及ぼしている打撃、私達人類の遺伝的虚弱化につながっている影響、これらは、目に見えている森林破壊、温暖化、オゾン層破壊、放射能、土壌侵食に増すとも劣らない脅威だと思われる。 これらが明らかになってもやはり経済効率が問われ続ける近代農業とは、いかにより破壊的であることを求めているかということと同じである。 従って、近代農業・農学は生命にとっていよいよ脅威となって行かざるを得ない宿命を持っている。

 農業も医療も同じ線上で経済や金が優先され、命はそのための道具でしかない。 そのような思考が人間の本性の一部である欲望として蔓延し、政治も経済も教育もそれを支えるためにあり、科学研究もそれを支えるためのもののみが陽の目を見るという極めて困難な問題を抱えてしまっている。 私たちの身の回りには,害なすものが満ち溢れ、ただ自然のみがじっとその崇高な姿を侵されながらあるのみである。

農学
 農学栄えて農滅ぶ、医者や医薬会社が栄えて民滅ぶ。まさにこんな状態が今の日本ではないでしょうか、 否、今の世界だと言えます。
農は自然に学ぶものであり、農学は自然のある一面を研究室環境、条件設定環境の中で分かった事を記すに過ぎないことであり、自然を改変する道具としてはならないものだと思います。 
しかしながら、近代科学をベースとして農学の結晶ともいえる化学・機械化農業、ビニール資材で環境条件を一定にするといった栽培法そして更に遺伝子操作作物は、ある一面の現象を人間の経済という物指しで自然に押し付け、他の99.999%の自然と生命を破壊して実現しているものだ。人間も自然の一部であるという厳然とした事実にそっぽを向いて無言で恩恵をもたらし続けるのを良いことに好き勝手をして破壊して来ている。